清学院の展示替えを行いました!

清学院では、令和6年3月のリニューアルオープン以来、河口慧海のご子孫の方から寄託された河口慧海関係資料の展示を行っています。

 

河口慧海は、現在の堺区北旅籠町西3丁で生まれ、仏典の探求、収集及び将来を志して、日本人として初めてヒマラヤ山脈を越え、厳重な鎖国下にあったチベットの都ラサに入った人物です。そのインド・ネパール・チベット旅行は『西蔵旅行記』として刊行され、現在も登山家を中心に多くのファンを魅了しています。

清学院は幕末から明治維新期にかけて、清学堂という寺子屋を営んでおり、河口慧海も一時期学んでいました。正に、河口慧海ゆかりの地と言えるのです。

 

令和6年11月27日(水)から以下3点の資料を展示しています。

 

①中村不折筆/扁額「雪山」(1916年以降、個人蔵)

夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家としても知られる中村不折(1866-1943)の筆になる木製の扁額です。「雪山」(せっせん/せつざん)とはヒマラヤの意味です。インド・ネパール・チベット旅行後の慧海は、自らを雪山道人と号しました。この扁額は、雪山精舎と称した自らの道場兼居宅にかけられていたものです。

 

②仏教宣揚会会則(1920年、個人蔵)

チベットから日本へ戻った慧海は、雪山会という修行団体を作って活動をしました。雪山会は1920年から仏教宣揚会と改められました。本資料は、この仏教宣揚会の会則で、全38条からなります。会の活動として、梵語または西蔵語仏典の日本語または欧州語への翻訳や子ども向けの日曜学校の開設など、多彩な事業が掲げられています。

 

③金銭出納簿(1939年、個人蔵)

慧海は仏教宣揚会を1927年に解散し、同年に自らが称するウパーサカ(在家)仏教を実践する団体として、在家仏教修行団を立ち上げます。本資料はこの在家仏教修行団の出納簿で、慧海が著述や研究に専念した赤倉温泉の費用や、トマト、サイダー、ミルク缶などの値段も記されており、当時の慧海の生活ぶりをうかがうことができます。

 

是非、慧海ゆかりの実物資料を見に、清学院をご訪問ください。

 

■施設概要

堺市立町家歴史館 清学院

所在地:堺市堺区北旅籠町西1丁3-13

入館料:100円(団体割引・各種共通券有)

※中学生以下の方、堺市在住の65歳以上の方、障がいのある方とその介助の方は無料。

アクセス詳細はこちら

 

■お問合せ先

堺市立町家歴史館 町家歴史館指定管理者㈱パソナジョイナス

電話・FAX:072-228-1501

メール:info@sakai-machiyamuseums.com